約束
著者:新夜シキ


 深い霧の掛かる朝。街人達に見守られる中、王都アリアハンの入り口に一人の男が立つ。
 男の名は、オルテガ―――
鍛え上げられた屈強な体躯、強い意志の宿る精悍な顔は、見る者を惹きつけてやまない。事実、彼はこのアリアハン大陸の、いや、世界の英雄だった。

「ねえ、どうしても行くの?」

 彼の傍らには、一人の女性。名はマリア。オルテガの妻である。

「せめてこの子がもう少し大きくなるまで傍に…」

 マリアは胸に抱いた赤ん坊をオルテガに見せるように持ち上げた。二人の愛の結晶、生後三ヶ月になる息子のアレルだ。アレルは、キャッキャと無邪気に笑っている。
 オルテガはアレルの頭を撫で、微笑む。アレルの笑顔は出発前の殺伐とした空気を癒してくれた。

「だから、だ。この子が安心して大きくなれる世界を作るために、今すぐにでも俺は旅立たなければならないんだ。これ以上、『魔王バラモス』をのさばらせてはいけない。今までさんざん話し合ってきただろ?」

「分かってる。分かってるけど…。この子にはやっぱり父親が必要で…ッ」

 そこまで言ってマリアは口を噤んで視線を落とした。
 オルテガはこの世界・アレルガルドの希望の星なのだ。マリア一人の我が儘で引き止める訳にはいかない。
 それに…オルテガは一度決めた事は二度と曲げない。その事は妻であるマリアが一番よく分かっていた。今まで二人は幾度となく話し合ったが、やはりオルテガは一度として自分の意見を曲げる事はなく、遂に今日を迎えるに至ったのだ。

 2年前――
 突如としてアレルガルドに現れた魔物の大群。そしてその大群を統べる『魔王バラモス』。その脅威は凄まじく、世界は恐怖に慄き、絶望への一途を辿った。世界の大国はバラモスを打倒すべく、幾度となく勇者や軍隊を送り込んだが、強大な魔力を操るバラモスの前では無力だった。
 人々は願った。救世主の出現を。34年前、世界の闇を祓った大勇者ゼイアスの再来を。そこで立ち上がったのが、勇者オルテガ。何を隠そう大勇者ゼイアスの実子である。
 オルテガこそが、世界の希望。オルテガならば、世界を救ってくれる。人々はそう信じてやまなかった。

「………気持ちは嬉しいけど、キミの言い分ももっともだけど、俺は行かなければいけない。今、この瞬間にもバラモスに苦しめられている人がいる。もうこれ以上先延ばしにする事はできないんだ」

 マリアは遂に涙を堪える事が出来なくなった。アレルを抱いたまま、地面に座り込んで嗚咽を漏らし始める。それと呼応するように、アレルも泣き始めてしまった。
 オルテガはマリアの手からアレルを抱き上げる。すると、あんなに激しく泣いていたアレルが、ピタッと泣き止んだ。

「アレルに父親が必要なら、再婚すればいい。俺たちは昨日で夫婦の誓いを解消した。これからどうするかはキミの自由だし、俺には既に口を出す権利はない」

 オルテガはわざと突っ撥ねるように言う。その言葉が、マリアの心の堰を突き崩した。

「そんな事!そんな事出来る訳無いじゃない!なんでそんな事言うのよ!アレルの父親はこの世界にあなたしかいないんだから!『必ず帰って来るから待っててくれ』ぐらい言ったらどうなのよ!!」

 マリアは心の限り叫んだ。大事な人が遠くへ行ってしまう。無事に帰ってくるよりも、もう帰ってこない可能性の方が圧倒的に高い。だからこそ、彼を気持ちよく送り出したかった。なのに、引き止める言葉しか掛けられない。しかし、最早自分の言葉では彼を引き止める事すら出来ない。自分の声は何の効力もない。マリアはそれが悔しかった。何も出来ない自分が、堪らなく悔しかったのだ。
 そんなマリアの思いとは裏腹に、オルテガはマリアの言葉が嬉しかった。本当に自分の事を心配してくれている事が分かったから。

「ありがとう、マリア。キミが…いや、キミとアレルが居てくれるお陰で、俺は旅立つ勇気を出す事が出来た。本当に感謝している。俺は必ず帰って来る。平和を手土産にしてな。約束だ。…それまで、アレルと一緒に待っててくれ」

 マリアは子供のようにコクコクと頷く。その様子を見て、オルテガも大きく頷いた。
 その時遠くから声が響いてきた。

「おお〜い!オルテガァ〜!」

 この声の主は、鍛冶屋の跡取ギン。ギンは人込みを掻き分けてオルテガの傍まで走ってきた。随分遠くから走ってきたのか、息が上がっている。傍らには『ルイーダの酒場』の若い女主人、ルイーダもいる。オルテガと二人は幼い頃からの親友だった。

「よかった、間に合ったのね。もう出発したかと思っちゃった」

「どうしたんだ、二人とも」

「おめェに渡したい物があるんだよ。たった今完成して、大急ぎで持ってきたぜ」

 そう言って、オルテガに一つの兜を手渡す。オルテガは片手でアレルを抱いて、それを受け取った。しかしこれは…何て言うか…。

「…なんだ?このダサい兜は…」

 オルテガが思わず顔をしかめてそう洩らすと、街人たちの端々から押し殺した苦笑いが聞こえてきた。その言葉に反応したギンとルイーダは、猛烈に反論する。

「ダサいとはどういう了見だ!遂に旅立つおめェの為に一生懸命、それはそれは一生懸命作ってやったってのによ!」

「そーよ!あたしだって一生懸命、それはそれは一生懸命手伝ったんだからね!」

 さっきまでのシリアスな空気はどこへやら。ギンとルイーダは涙目で訴えかける。その様子が可笑しかったのか、街人たちからは大きな笑い声が溢れていた。
 オルテガがふと視線を落とすと、マリアも涙で顔をくしゃくしゃにしながら笑っている。そしてアレルも、楽しそうに笑っていた。

「まあ、いくらダサくてもお前達が作ってくれたんなら有難く頂くとするか。よくよく見ればダサいはダサいなりに、結構防御力は高そうだしな」

「ダサいダサい連呼すんな!気に入らねェならおめェにはやらねェよ!」

「そーよそーよ!豪傑だか剛毛だか知らないけどね、昔からアンタには配慮ってもんが欠けてんのよ!」

 オルテガ達のそんなやり取りで、街人たちは爆笑の渦に巻き込まれた。
 親友たちと軽口を叩き合いながら、笑い声の中で旅立つ。そう、オルテガが望んでいたのはまさにこの旅立ちだった。

「ありがとう、お前達。これで心置きなく出発出来る。最後に話せてよかった」

「……バカヤロウ。今生の別れみたいな事言うなィ」

「……そうよ。生きて帰って来るんでしょ?」

 二人の傍らに、涙を拭ったマリアが毅然とした表情で立ち上がった。

「いってらっしゃい、あなた。私、待ってますから。あなたが帰ってくるまで、ずっとずっと、ずーーーーっと待ってますから」

 そう言ってマリアはとびきりの笑顔を見せた。その表情を見て、オルテガは今一度大きく頷いた。そしてアレルを手渡し、短い口づけを交わした。

「ありがとう。行って来る」

 それ以上何も語らず、決して後ろを振り向かず、オルテガはアリアハンを後にした。
 人々は彼の姿が見えなくなるまで歓声を送り続けた。
 オルテガの姿が見えなくなる頃、マリアの頬に再び一条の涙が流れた。そして、もう二度と見る事の叶わぬその後ろ姿に、二つの誓いを立てるのだった。

「あなた…。私、もう泣きませんから。それと、私一人でもこの子を…アレルをあなたに負けない位強い子に育て上げてみせますから。だから、必ず……必ず帰って来て下さいね」

 幼いアレルは、もう見えなくなった勇敢な父の姿をいつまでも目に焼き付けていた―――――



――――あとがき

 DQVのオープニング、『オルテガの旅立ち』を書いてみました。多分に私個人の解釈が盛り込まれております故、反論意見なども多々あるかと思いますが、そこは長い目でみてやって下さい(笑)。
 彼は結局大きな運命に勝てず、最後にはああなってしまう訳ですが、決して一人ではなかったんだと言う所を私は主張したかったのです。例えFC版のグラフィックが覆面パンツだったとしてもっ(苦笑)!!
 これから続く『〜6 years after〜』にもお付き合い頂ければ幸いです。



――――管理人からのコメント

 どうも、ルーラーです。
 新夜シキさんの書いたドラゴンクエストVの二次創作小説、ようやくこちらに転載することができました。
 ちなみに、サブタイトルは内容になるべく合うようなものを、こちらでピックアップさせていただいています。シキさんにも気に入っていただければ幸いです。

 今回のサブタイトルは『Kanonオリジナルサウンドトラック』に収録されている同名曲から。『Kanon』をプレイしたことのある人には有名な曲だと思います。

 あとがきにもあるとおり、オルテガは大きな運命に勝つことができず、悲しい最期を迎えてしまうわけですが、でもまあ、本人が望んで旅立ったのだから、これはこれで幸せなのかな、とも思います。

 それにしても、ゲーム本編とのリンクが上手いです。僕は果たして、これほどまで上手くリンクさせることができるかどうか……。
 まあ、プロローグに負けないぐらい面白いものを書けるよう、頑張ろうと思います。
 それでは。



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